■ 西洋のインテリアの歴史
□ 現代
(1)第2次大戦後の建築
1940年以降、自由主義諸国における建築は、モダニズムを成熟させていきました。
アメリカでは、ミース・ファン・デル・ローエを中心として鉄とガラスによる建築造形が特色を発揮しました。
ミース・ファン・デル・ローエの作品では1945年のイリノイ工科大学や、1952年のミシガン湖畔のアパートなとがありますが、住宅ではファンスワース邸が有名です。
ブロイアーやノイトラも影響力のある住宅を設計しました。
またフィリップ・ジョンソンが1949年に設計した自邸「ガラスの家」は、ユニバーサル・スペース(万能空間)の性格を明確なものとしましたが、この発想には、日本の建築空間の影響が強いです。
この点はノイトラやイームズの住宅にも共通しています。アメリカにおける20世紀中頃の代表的な建築にはニューヨークの国連本部があります。
この設計には、フランスのル・コルビジェ、ブラジルのニーマイヤー、スウェーデンのマルケリウスなどが参加し、アメリカのウォーレス・ハリソンによって実施されました。
このほか多くのビルを手がけているルイス・スキッドモアや、ニューヨークのケネディ空港TWAビルで知られるエーロ・サーリネンなども、代表的な建築家です。またバックミンスター・フラーは独自のドームの構造をつくりだしました。
フランスでは、1952年ル・コルビジェによって、マルセイユに建てられた集合住宅「ユニテ・ダビタシオン」が近代建築の記念碑的な意味をもつものとして見逃せません。
ここでは独自の標準尺度「モデュロール」が応用されています。またロンシャンの教会も、特色ある造形で名が高いです。
イタリアは斬新なデザインで、20世紀の建築やデザインを特徴づけていますが、ジオ・ポンティと構造設計のネルビの協力によるミラノのピレリビル、レオ・カリーニらによるローマの終着駅、中世の城を想わせるロジャースらのBBRP設計のミラノのアパート「ベラスカの塔」など多彩で、構法上の工夫も多く見られます。
中南米は第2次世界大戦に巻き込まれなかったため、戦後の建築ブームをつくる余力を蓄えていました。
メキシコでは国内の指導的な建築家を集結して設計した大学都市があって、ブラジルでは1956年から新首都ブラジリアの建築が始まりましたが、ルシオ・コスタのマスタープランをもとに、ル・コルビジェ門下のオスカー・ニーマイヤーらが設計しました。中南米の建築には、民族性や風土性が強く反映されています。
(2)第2次大戦後の家具
1950年頃からの家具には、木材の他、各種の金属や、プラスチックなどがさかんに活用されるようになり、加工技術も高度なものになって、造形の可能性もさらに広がっていきました。
チャールズ・イームズとエーロ・サーリネンは40年以降一層明瞭な個性を発揮して、優れた家具を開発しましたが、イームズは成形合板の椅子、強化プラスチックのシェルによる椅子、綱線による椅子などいずれも20世紀の家具を代表する作品を生み出し、サーリネンは強化プラスチックやアルミニウムを利用して流動的な形態の椅子などをデザインしました。
ジョージ・ネルソンやハリー・ベルトイアらも新鮮なデザインを展開しました。
これらはアメリカン・モダンの家具の中でも際だった存在です。
また、このように家具を製品として世に出した、ハーマン・ミラーあるいはノールなどの企業がはたした役割も大きいです。
このほかアメリカでは、ジョージ・ナカシマが手工芸的な手法による木製家具をつくり、人気を得ました。
イタリアのモダン・デザインは、優れた造形感覚によって、魅力ある作品を多く生みましたが、商品としては短命に終わったものも少なくありません。
その中で、ジオ・ポンティの木製の超軽量椅子は、洗練度の高い名作だと言えます。
ピコ・マジストレッティのプラスチックの椅子は、1960年代の代表的な例です。マジストレッティは1981年に毛布をかけたような斬新な椅子も手がけています。
そのほかフランコ・アルビーニ、マルコ・ザヌーゾ、トビア・スカルパ、ジョエ・コロンボなどがイタリアのデザインの推進役を果たしました。
1980年代では、マリオ・ベリーニの活躍が目立っています。
北欧も多くの優れた家具デザイナーを生み、スカンジナビア・モダンの家具は世界中に愛好されました。
中でもデンマークのアルネ・ヤコブセンは中心的な存在で、発泡プラスチックのシェルによるエッグ・チェアやスワン・チェアはその代表的な作品です。
デンマークでは、手工芸的な暖か味のある木製家具の作家として、ボルゲ・モーゲンセン、フィン・ユール、ハンス・ウェグナーらの作品も見逃せません。
イギリスやフランスは、特に影響力のあるデザイナーの活躍はありませんが、イギリスのロビン・デイは、合板による堅実な家具などによって知られています。
ドイツでは、工業化の進んだ家具生産によって、システム化された収納家具やキッチン設備機器を、世界の市場に進出させました。
(3)21世紀への動き
モダニズムが支配性を強めるにつれて、これに対する批判的な考え方も多くなっていきました。
単調な四角い箱のような建築や、装飾の否定による表情に乏しいデザインへの不満に対して、さまざまな試みが展開されるようになりました。
ルイス・カーンは、機能主義の考え方と対立する「形態は機能を啓示する」という発言をしていますが、合目的性の軸から離れ、建築の自立的表現への関心が強まってきました。
カーンは部分から全体に向かうという発想を進め、ペンシルバニア大学医学研究所の設計などで実践しました。
また「建築の複合と対立」の出版などによって影響力をもったロバート・ベンチューリなどのほか、日本の建築家にも新しい方向性を模索を主導する人たちが出ています。
このような動向の中で、最も話題性をもつ建築家として、シドニーのオペラハウスがあります。
1957年に行われた設計競技で選ばれたデンマークの建築家ヨーン・ウッツォンのシェル構造によるきわめて特徴のある建築です。
また若い建築家たちの支持を得た一人に絶対建築を唱えたオーストリアのハンス・ホラインがいますが、その設計によるウィーンの小さな店のファザードの造形は、店舗設計の分野に強い刺激を与えました。
インテリアの分野にもさまざまな動きが見られますが、欧米におけるノーファニチャーや、床座式の生活形態への関心は、明らかに日本からの影響です。
内部空間の中に、さらに空間をつくるとうスペース・イン・スペースの発想ももはや特殊なものではなくなりましたが、チャールズ・ムーアのジャイアント・ファニチャーはその代表的なものです。
一方、エレクトロニクスなど高度な技術を生活に生かそうとする傾向も強まりましたが、1969年イタリアのジョエ・コロンボが、設備化されたインテリアの提案を心み注目されました。
モダニズムに対してポスト・モダニズムという用語が盛んに使われ始めたのは、1970年代の末からですが、それ以前から新しい活路を求めようとする模索は続けられていました。
ポスト・モダニズムの考え方では、合目的性というような1つの価値判断を基にした統一性を否定し、異質なものの併存状況を肯定しようとしています。
家具においては、1980年代はじめ頃イタリアのエットーレ・ソットサスを中心とした「メンフィス」の活動が話題を呼びました。
その一群の家具は、用の要素を極限に追い込んで、新しい美の表現を試みています。
これは、ポスト・モダニズムを提唱する運動ではありませんでしたが、一般に同じ潮流だとみなされています。
このような動向の中で、実用性と新しい形態表現を巧みに結合させた例としてはデガネッロの作品などがあります。
1980年代も後半に至ると、ポスト・モダンという枠組みもあいまいになり、デザインの方向も多様な展開を見せます。
高度化したテクノロジーを象徴するかのようなメカニックな造形もその一つで、建築では70年代にパリのポンビドウ芸術文化センターを設計したリチャード・ロジャースによるロイズ・オブ・ロンドンや、ノーマン・フォスターによる香港上海銀行などが注目されました。
さらに一方では、装飾の復権がいわれて、古典様式や20世紀初頭の様式への回帰現象が見られたり、自然の素材感を重視する傾向なども目立つようになりました。
また、1980年代には、日本のデザインが、さまざまな分野で、それまでのような受け身ではなく、世界に向かって発信する側に立って、国際的な交流が極めて活発になりました。
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