■ 西洋のインテリアの歴史
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− 3 − 近世
ロココ
18世紀になると、王国の絶対君主支配の下で退廃的傾向が増し、造形の特徴も享楽的な性格を強め、より曲線的で優雅なものとなっていきました。
ロココとは、ベルサイユ宮殿の庭園を飾った貝殻模様の人造石のロカイユという名称にもとづいています。
ロココはフランスにおける装飾を中心とした様式で、建築構造上の特色は乏しいです。
(1)室内装飾
ルイ14世の没後、ルイ15世の治世下の貴族たちは、堅苦しいベルサイユでの宮廷生活から離れて、パリでの社交生活を好むようになり、比較的小規模なオテルあるいはパピヨンと呼ばれる居館に住むようになりました。
ジェルマン・ボフラン設計のオテル・ド・スビーズはその代表的なもので、内部の軒蛇腹や飾柱がなくなり、壁は曲面を形作って天井に移し、金色をした精巧な繰形で飾られました。
また、寄木張りの床には花柄の絨毯が敷かれました。
ロココ様式では、シンメトリーの原則は破られ、部屋のプランについても八角形やコーナーを丸くしたものが多く、色彩は淡いソフトな色調を好みました。
画家ブーシェらによるフォンテンブロー宮殿の会議室は、最も華麗な装飾で知られています。
ドイツではプロシャのフリードリッヒ大王が、建築家クノベルスドルフに指揮させたサン・スーシー宮殿や、バイエルンの宮廷建築家キュビィエ設計のアマリエンブルク荘がロココの特徴をよく出しています。
(2)家具
ルイ15世時代の家具は、軽快、繊細で曲線による構成を特色としました。家具材にはウォルナットのほか、マホガニーなども使用され、彫刻や金色の仕上がりで飾りましたが、東洋の漆や蒔絵の手法も取り入れています。
この時代の初期を、レジャンヌ様式と呼ぶ場合もありますが、この時期は名工シャルル・クレッサンに代表されます。
また、ネオクラシシズムへの移行の時代を代表するのが、ポンパドール婦人の寵愛ょ受けたジャン・フランソワ・エーバンで、寄木細工やいろいろな仕掛けのある家具を得意としました。
ロココの家具には、各種の椅子、コンモード、コンソール、化粧テーブル、ビューローなどに特色がありますが、ベットにはアルコープのベット、ポロネーズのベットなどさまざまな形式のものがありました。
イギリスでは、18世紀はじめのアンジ女王の時代からロココ様式が広まりましたが、この時代のものをクイーン・アン様式といい、カブリオール・レッグと呼ばれる曲線脚に特徴があります。
その脚端は動物の脚をかたどり、玉をつかんだかたちも多い。
トーマス・チッペンデールは18世紀のイギリスを代表する家具作家で、クイーン・アンの様式をベースとして、さまざまな形態の家具を生み出しましたが、リボン状の彫刻をした背を持つ、リボンバック・チェアは代表作の一つです。
また、中国風のモチーフを積極的にとり入れた家具には著しい特徴があります。
(3)工芸
18世紀の工芸は、実用性より装飾的な美しさが重視されましたが、東洋との交流が盛んになるにつれて、中国や日本の影響が一層強まりました。
中国は14世紀から17世紀に至る明の時代に、美術工芸は特に盛んとなり、ヨーロッパにおけるシノワズリーは織物、家具、陶磁器などから室内装飾全体に及びました。
陶器はデルフトの隆盛ののち、フランスのルーアンも中国風の意匠を取り入れた優れた製品を生むようになり、18世紀に入ってヨーロッパの陶芸を支配するようになりました。
さらに、18世紀なかばには、セーブルに王立の磁器製作所が作られました。
ドイツでは、18世紀初頭、マイセンで硬質磁器の生産に成功し、特にロココ趣味の人形を有名にしました。
金工の分野も、ロココ様式はその技術特性を発揮させることとなり、さまざまな華麗な作品を生みましたが、ベルサイユ宮殿の時計の間の女体を連想させる美しい時計台をつくったカフィエリ父子は代表的な彫金師です。
− 4 − ネオクラシシズム
古代ローマの遺跡の発掘の発掘などの刺激を受けて、18世紀中期から古典様式への関心は急速に高まりました。
ロココの特徴であった曲線は再び直線に変わり、シンメトリーの構成と古典的なプロポーションが重視されるようになりましたが、この様式をネオクラシシズム(新古典主義)と呼んでいます。
(1)室内装飾
ネオクラシシズムのインテリアでは、壁面を繰形で長方形に区分し、その中に花輪、月桂樹、楽器などの装飾が加えられました。
その例としては、アンジュ・ジャック・ガブリエルが設計したベルサイユのプティ・トリアノンが代表的なものである。
イギリスの建築家ロバート・アダムは、ネオクラシシズムを最も早く実践した一人ですが、オスタレー邸にはその作風がよく表れています。
(2)家具
ネオクラシシズムの家具にはコリント式オーダー、帯状の繰形、月桂樹、オークの葉などが装飾のモチーフとして用いられました。
椅子やテーブルなどの脚は、フルーティングを施した繊細で丸い断面の直線脚になっています。
表面塗装では凸凹の彫刻が少なくなって、寄木細工が好まれました。
フランスではルイ16世の時代に当たるので、ルイ16世様式と呼んでいます。
マリー・アントワネットが愛用した家具をつくったジャン・アンリ・リーズナーの作品は、その典型とも言えます。
また、18世紀末のフランス革命後の執政官による時代のものは、ディレクトワール様式といいます。
イギリスでは、ロバートを含むアダム4人兄弟が、マホガニーやサテン・ウッドを使って、アダム様式と言われる古典的モチーフを生かした家具を作りました。
18世紀後期、アダムとほぼ同時代に、ジョージ・ヘップルホワイトも古典的な特徴がある家具を作りましたが、ハート形や楯形をした背の椅子は、最も優美な椅子として知られています。
またトーマス・シェラトンは18世紀末に活躍した家具作家で、直線的な構成を得意としましたが、家具に関する著作でも評価されています。
チッペンデールを含めアダム、ヘップホワイト、シェラトンが活躍したのは、ジョージ1世、2世、3世の時代なので、ジョージアン様式とも呼ばれています。
この時代は中産階級が重要性をもつようになったことと関連して、デザイナーたちもその人たちを対象とする家具に力を入れました。
ヘップルホワイトは、都市のアパートに住む人たちのための機能的な組み合わせ家具なども製作しています。ドイツではダビット・レントゲンが多数の職人を組織して時計や家具を製作し、その作品は全ヨーロッパの王侯貴族に納められて名声を上げました。
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− 5 − 19世紀
1789年におこったフランス革命によって、貴族たちは没落し、新たなブルジョワ階級が指導的地位につきました。
ルイ16世やマリー・アントワネットらは断頭台に送られ、栄華を極めたブルボン王朝は中断されることとなりました。
一方イギリスに始まった産業革命は、次第に機械による生産方式を進め、資本主義の確立に結びついていきましたが、生活や文化の面では合理的な考え方が広まりました。
王侯や貴族中心であった美術工芸も、徐々に市民生活の中に融合しはじめました。
19世紀前半では、18世紀からの古典主義が引き継がれる一方、異国情緒を求めるローマン主義も流行しました。
19世紀後半には様式の統一性は失われ、さまざまな様式を折衷する傾向が見られるようになりました。
(1)建築
フランスでは、1804年ナポレオンが帝位につくと、古代ローマの様式を再現しようとする傾向が強まりましたが、これをアンピール様式と呼んでいます。
パリのエトワール広場の凱旋門やマドレーヌ寺院などは、その代表的なものです。
アンビール様式はフランスのみだけではなく、ヨーロッパ各地に急速に広まりましたが、その中でもドイツに顕著な例が見られることができ、ベルリンのブランデンブルク門や美術館などがあります。
イギリスでは、ローマン主義的発想の中で、ゴシック様式の再生を試み、チャールス・バリー設計によるロンドンのイギリス国会議事堂などが建てられましたが、この傾向の建築は、ドイツやフランスにも見られます。
19世紀後半になると、急激な社会の変化とともに官庁、学校、病院、駅舎、劇場など公共的な施設の建設が盛んとなりましたが、それらには、ゴシック、ルネッサンス、バロック、ネオクラシシズムといった過去の権威主義的な様式が、折衷して取り入れられました。
(2)室内装飾
ナポレオン1世の思想をもとに、建築や装飾におけるアンピール様式を確立したのが、ペルシェとフォンテーヌの2人の建築家といわれますが、その特色を明確に打ち出しているのがフォンテンブロー宮殿、マルメゾン宮殿などナポレオン自身が使用するために改装した宮廷の内装でしょう。
力強い直線構成と厳格なシンメトリーの法則をもとに、スフィンクス、パピルス、ロータス、ローマの鷲、勝利の女神、ヘルメットの戦士、月桂樹、Nの文字を入れた花輪などで飾りました。
(3)家具
19世紀前期のアンビール様式の椅子、テーブル、ベットなどは古代ローマの大理石やブロンズ製の家具をもとにデザインされ、重厚感があり、真紅のビロードや木部の黒い仕上げ、金色の装飾が好んで用いられました。
イギリスでのアンビール様式の影響は、ジョージ3世の後の摂政時代におけるリージェンシー様式となりました。
その意匠は古代ギリシャのもののほか、エジプトや中国の影響も強く、黒塗りや金色の飾りなど対比がはっきりした色調です。
19世紀後期ビクトリア女王の時代になると、社会の動きに反して造形面は保守的で過去の様式への依存が目立ちました。
したがってビクトリア様式の家具には、造形上の前進はみられません。
古い様式のもののリプロダクションも多く行われました。また、手工業から機械による生産に移る過渡期で、品質の悪い家具が出回ることとなりました。
しかし構造上では、椅子やベットにコイルスプリングが使われるようになって、機能性を一段と向上させました。
アンビール様式は、ドイツやオーストリアにも流行しました。
それが一般市民向きのものとして、19世紀前期に広まったのが、ビーダーマイヤー様式で、実用性が高く、現代の家具に結びつく要素が多いです。
(4)工芸
ナポレオンは、貴族の没落とともに一時衰退した工芸を復活させるため、ゴブランの工場などを支援し、タピスリーなどをつくらせました。
リヨンの絹織物もその支援によって復活しました。
陶磁器では、セーブル磁器が、古典主義的なポンペイ風やエジプト風のものを作り、さらにロココ様式や東洋風の草花のものなどもつくりました。
マイセン磁器は古代ローマのカメオの手法などを取り入れたイギリスのウェッジウッド陶器に人気を奪われましたが、シノワズリーや柿右衛門風の伝統を守りました。
− 6 − 初期アメリカ
組織的な植民が始まった17世紀初頭から、1776年独立を宣言するに至るまでが、厳密な植民地時代といえますが、様式上では、19世紀前期まで含めてコロニアル様式と呼んでいます。
はじめ、イギリスのみでなく、オランダやドイツからの移民も行われましたが、次第にイギリス人の支配が強まり、建築や家具などの様式も、主にイギリスから移入したものをもとにしています。
住宅は、ジョージアン様式などが多く取り入れられましたが、材料の入手の点で、木造が主体でした。
19世紀までの教会や公共建築は、ヨーロッパのネオクラシシズムやローマン主義、折衷主義の影響によるもので、独自の展開を見せるには至っていません。
植民地時代の様式を中心に、初期アメリカの傾向を総称して、今日ではアーリー・アメリカン・スタイルと呼ぶことが多いです。
20世紀後半になって、この時代へのノスタルジーが強まるとともに、現代風な意匠に整え直したアーリー・アメリカンの様式は、日本の住宅やインテリアにも大きな影響をもたらすことにもなりました。
家具
植民地時代の初期のものとしては、ジャコビアン、ウィリアム・アンド・メリー、クイーン・アンなどの様式によるものが多く、中でもクイーン・アン様式のハイボーイ、ローボーイと呼ぶ衣装箪笥は代表的なものです。
イギリスのウィンザー地方をもととするウィンザーチェアーは、18世紀初期にアメリカ入りし、改良されて18世紀後期から大いに流行しました。
また、18世紀後期にはチッペンデール、アダム、ヘップルホワイト、シェラトンなどの古典主義的な様式が流行しましたが、連邦制度を成立させた時期でもあるので、フェデラル様式とも言っています。
このころニューヨークのダンカン・ファイフは、シェルトン様式に基づいたマホガニーの椅子やテーブルなどをつくり、人気がありました。
18世紀末から19世紀中期にかけて、シェーカー教徒は装飾を取り除いた、きわめて素朴ながら美しい家具を作りました。
その椅子ははしご状の背のものが多く、ラダーバック、あるいはスラットバックと呼ばれました。また19世紀末頃には、スペインからのキリスト教布教団によってもたらされた簡素なミッション様式なども見られます。
19世紀後期には、鉄を家具に積極的に利用し始め、ビクトリア様式の椅子が鋳鉄で作られたりもしました。
これらのほか、フランスの田舎風の、フレンチ・プロビンシャルやスペインの民族色の濃いスパニッシュの家具など、世界各地からのものが、アメリカナイズされて定着しています。
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